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洋楽(1960~1980)/ 旅行記

筑波今昔

 筑波の変遷を地図で辿ってみた。埼玉大学のプロジェクトのようだが、今昔で二画面に分けて、ポイントした地点を比較することができる大変便利なサイトである。古地図はただ単にノスタルジーに浸るための道具ではない(僕は浸ってるけど)。真面目な話、家を買う際に古地図を参考にして家を建てないと、後々家が傾くこともあるようだ。例えば、旧河道(昔川が流れていたところ)は意外と日本の河川沿線に存在するのだが、結構気づかずに土地を買って家を建ててしまう人もいる。
 地図上で見るとこんな感じ…

f:id:OnoKen738:20160703204107j:image明治40年(1907年)

 f:id:OnoKen738:20160703204112j:image昭和9年(1934)

上の二地図は、よく目を凝らして地図上の地名をご覧いただければわかると思うが、全く同地点の地図である。みなさんお気づきだろうか……???
明治40年の地図にはある沼が、昭和9年の地図ではまるまるなくなってしまっている!!!(ちなみに地図は同縮尺)
どうやら田畑の用地に干拓されてしまったようだ。こうした土地に家を建てると、地質の問題からか、家の重みで徐々に傾いていくこともあるらしい。
気をつけましょう…!

さて、本題に入ろう。筑波大周辺はどのように変わってきたのだろうか…?
みなさんの家は沼の上に立ってないだろうか…?


f:id:OnoKen738:20160703204127j:image明治40年(1907)


f:id:OnoKen738:20160703204141j:image昭和9年(1934)


f:id:OnoKen738:20160703204151j:image昭和52年(1979)


f:id:OnoKen738:20160703204158j:image平成8年(1996)

 

 ちなみに、現在の地図と過去の地図を半透化させて重ね合わせると……

f:id:OnoKen738:20160705222612j:image

 筑波大の輪郭が少し見えるような…?

それでもだいぶ変わってしまったようですね…。

 

※時系列地形図閲覧サイト「

今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成

URL:http://ktgis.net/kjmapw/index.html

 

Voyage en avion (1930's)

 古今東西の航空時刻表を集めたサイトで、1930年代の日本航空輸送(※日本航空ではない)のパンフレットを発見した。外国人向けのパンフレットらしく英語で書かれていた。戦前の不穏な空気が流れ始めた1930年代の日本でも、一応は外向きに開いていたのだと思うと不思議な感覚を覚える。旅客輸送が花咲いた時代、日本の空はどうだったのだろうか。


日本航空輸送(JAT)1936-37年冬のパンフレットより】

 f:id:OnoKen738:20160703095437j:imagef:id:OnoKen738:20160703095456j:image

◆表紙 満州航空(もちろん今はない・本拠地:奉天)路線との連絡体制が整っているようだ

◆乗客への注意事項 ・座席は予約制 ・鉄道(&船)との接続:主要国鉄駅でチケットを入手できる

・運賃:4歳以下の同伴はタダ、往復運賃は割引なし

・キャンセル料:半額 ・保険:東京海上日動(価値1000円の物品につき3円の保険・最大5000円の保証)

・撮影:撮影禁止区域(福岡ー蔚山京城[ソウル]ー大連、福岡ー台湾[&台湾島嶼部]) この区間では撮影機器はJATに預けなければならない。その他区間はOK

・遊覧飛行:6人以上で5円/10分(1人あたり)で遊覧飛行(6都市で実施)

・特別飛行:軽飛行機で都市近郊(羽田からであれば箱根・伊豆、遠くは日本アルプス)へ

・送迎サービス:東京市庁舎(有楽町)からタダで送迎 (羽田まで50分もかかる!今だったら首都高あるからね…) 驚くべきことに登場の20分前に空港にいればOKだったらしい

・エアメール:「航空」か「airmail」と書く、他は今と同じ、海外宛もOK
資料を漁っていたら、さらに同会社のパンフレット(1934年)と大日本航空(日本航空輸送の後継・国策的)の乗客案内(1939年)を発見した。以下には、比較して気になった部分について触れる。


日本航空輸送の1934年パンフレット、1934年の大日本航空・乗客案内より】

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◆1936-37年パンフレットとの比較 ・1934年のパンフレットの方が、心なしか景勝地の写真付きで華々しい印象。デザイン性も良い。

・1934年パンフレットの路線図には破線で記された"projecting airlines"となっている路線がある(上海路線、東北地方・札幌路線)。これは1936-37年のパンフレットには記載がない。すなわち、2年間の間に実現されていない路線ということになる。何らかの事情があって(あるとするなら1937年の日中開戦前の不穏な外交関係・航空路線は政治と深く関係がある)諦めざるを得なかったのか、それとも、わざわざ就航予定の路線を記載する手間を省いたか…。いったい何があったのだろうか?
・荷物で金を取るようになった。因みに2年間で同区間の運賃は変化なし(例:東京-大阪間30円) -1934年 :10kgまでタダ(距離に関係なく) -36-37年:距離あたり&1kgあたりで料金が変化する(1000km圏内・10kgであれば10円!)
・写真撮影に関する注意事項 は年々厳しくなる傾向にあったことがうかがえる。戦争の影が忍び寄ってきたことを示しているのだろうか。思うに、軍事施設関連の影響であると思う。スパイ対策とも考えられる。(因みに現在でも、海外の空港には無断で写真撮影した場合処罰されるところがあるので要注意)

-34年 :飛行中どこをとっても良いが、従業員の注意があったときは撮影NG

-36-37年:先述。具体的に撮影禁止区域を指示。語気も強い印象 -39年 :全面撮影禁止

・【衝撃】離着陸時以外は喫煙OK


今と変わらないこともあれば、大分違うところもある。今と変わらないところは、予約制・保険・荷物の規定だろう。運行上どうしても必要な部分は時代が変わっても変わらないものだ。逆に現在と大分違うところは、写真撮影・喫煙の規定だ。写真撮影は、現在は離着陸時以外の洋上飛行中なら問題ないはずだ(フィルム式ならば離着陸時も問題なかったはずだ、航空保安員の指示に従うべし)。写真撮影に関しては、やはり、国防・軍事関係絡みの理由から禁止されていたのだろう。現在でも、何年か前にGoogle earth衛星写真に韓国軍の重要施設が写り込んでしまったか何かで抗議の声が上がっていたが、それとおそらく同様だ。飛行中の喫煙可は驚きだ、現在は、喫煙自体が嫌われる傾向だが、公共の場、とりわけ飛行機では安全上の観点から絶対にNGであろう。ついでに言うと昔(おそらく1950年代)の航空保安検査はガバガバで、昔読んだ「機長のかばん(講談社)」に書いてあったことだが、岩国空港(山口県)のアプローチ(着陸態勢)のさなか、トイレで動転した新郎がダイナマイトを持って立て篭り、結局ドアをこじ開けて飛行機から飛び降り自殺するという事件があったらしい。率直な感想を言うと、本当に何でもありだ。信じられない。最後に、送迎サービスは太っ腹で良いと思う。現在の航空会社も是非実施して欲しい。
たまには昔の旅に想いを馳せるのも良いかもしれない。


◆画像引用◆ Airline Timetable Images©︎ 2000-2016 Björn Larsson &camp; David Zekria (http://www.timetableimages.com/)